今、思うこと。

通常ブログ再開にあたって、今思うことを正直に書こうと思います。タイトルか、続きを読むをクリック。
通常ブログ再開にあたって、今思うことを正直に書こうと思います。タイトルか、続きを読むをクリック。

こんにちは、coccolobluです。ご無沙汰してます。

 

ブログにイタリア語での震災情報を載せていたので、その記事が隠れてしまわないよう、しばらく通常のイタリア生活ブログをお休みしていました。

しかしそろそろ、イタリア人に向けた速報という役割は果たしたと思われるので、通常のブログに戻そうかと思います。

それにあたり、今思うことを、書き留めておくことにしました。

(というか、3月11日について何も語ることなく、次に進むなんてできそうにありません。)

とりとめもなく長くなると思います、ごめんなさい。 

 

 

まずは、今回の東北地方太平洋沖地震で亡くなられた方に、お悔やみを。

そして、被災された方々、ご家族や友人が被災された方々、不安な日々を過ごすすべての方、日本を愛するすべての方に、心からの祈りとエールを。

被害がこれ以上拡大しませんように。

被災地が少しでも早く復興しますように。

 

 

私は地震の第一報をツイッターで見ました。

それからずっと、インターネットにかじりついて情報を探すことしか手につかない日々。

 

有り難いことに実家は名古屋なので家族に異変はなく、友人たちの多くも東京在住だったため、帰宅困難になったりしつつも皆無事でいてくれました。

その私でさえこれだけショックを受けたんですから、被災された方、そしてご家族が被災地にいた方にとって、今はどれほどの試練の時であることでしょう。

 

正直なんと言ったらいいのか、言葉が、まったく見つかりません。

 

今も様々な情報が錯綜し、政府や東電の発表はどの程度正しいのか、メディアの、人々の口から飛び交っている情報はどの程度正しいのか、あるいは海外メディアの言うことはどうなのか、疑心も相まって不安は一向に減る気配を見せません。

だからこそ、何をどう言えばいいのか、ますますわからなくなります。

 

自分が善意で言った言葉が、誰かを傷つけるのが怖い。

そして、悪意無く、自分ではそれを正しいと信じながら、不確かな情報や考えを口にしてしまうことが怖い。

 

自分なりの考えで通常のブログに戻すことを決めましたが、それもまたおっかなびっくりではあります。

それどころじゃない!と思う方も沢山いるだろうと思うし、その気持ちも理解できます。

アクセスを見てみると、もう一つ私が運営している「一日一笑inイタリア」のサイトも含め、震災後も、大きな被害を受けたであろう地域からのアクセスがありました。

何だか胸が苦しくなるほどに、そのアクセスを嬉しく感じます。

 

 

3月11日から今日までの日々、今回の災害に対して、沢山の意見を見ました。

自粛をうながす意見、自粛はやめようという意見、原発に対してもこの機会に沢山の意見やレポートを読むことができました。

日々の何気ない風景をブログやツイッターに書く人、震災での体験を語る人、それに感動する人、涙する人、政府や東電に怒る人、怒りをたしなめる人・・・。

間違いなく、誰もがそれぞれの思いを抱えていることでしょう。

 

そして私は思うのです。

震災に対する思い、気持ち、それらのすべてに正しい正しくないという区別はなく、そこにただ「ある」のだなぁと。

 

どれが正しいとか間違いとか、大きいとか小さいとか、今私たちが抱いてる思いに区別やレベルはつけられない。

ただそこに「ある」。

一人一人の想いが、祈りが、気持ちが、心が。

そして痛みが。

 

これらの感情は震災という一つのキーワードで繋がっていながら、なおかつ、とても個人的なもののように感じます。

 

うまく言えないけど・・・。

語り合うにせよ、意見交換をするにせよ、議論するにせよ、誰もが今回の震災に対して個人的な「想い」を抱いた個人なんだということは、自覚しておきたいなぁと思うのです。

 

残念ながら想いは、言葉や行動になって外に出た時、人の誤解を招くこともあるけれど。

 

(もちろん、この機に悪いことをしてやろうとか考える人は別ですよ。東京で不審な男たちが一人暮らしの女性を狙ってアパート訪問してるという情報を見ましたが、そういう奴はちょん切ってやればいいと本気で思う。何を?もちろん、大切なとこを、です!)

 

だから私は迷いながらでも、自分の想いと向き合いながら進むしかない。

きっと誰もが一人一人、そうするしかない。

 

 

それから、海外在住日本人の一人として、書きたいことが一つあります。

海外在住邦人のみんなへ。

 

沢山の心配を抱えて、言葉にならない思いを抱えて、日本との距離を痛感して、周囲の外国人たちに理解されないもどかしさを抱えて、つらかったよね。

 

酷い言葉を回りから掛けられた人もいたと思う。

無知で無神経な言葉や態度に傷ついた人もいたと思う。

「海外に暮らす自分が落ち込んでどうする!」と自分を奮い立たせながら、それができない罪悪感にさいなまれた人もいると思う。

無力感に苦しんだ人もいると思う。

 

「つらい」という言葉を出すことに抵抗がある人もいると思う。

自分にとってピッタリ来る言葉はそれじゃない、と思う人もいると思う。

強い人こそ自分は「つらい」んじゃないと思うかもしれない。

 

私は全員にピッタリくる魔法の言葉は見つけられない。

けど、私は周りのイタリア人たちに理解されなかった時、思いを共有して語り合える日本人が回りにいなかった時、パソコン越しに祈りを飛ばすことしかできない自分を責める時、実は、つらかったです。

 

痛みを感じる自分に罪悪感を感じ、「被災者の苦しみはこんなもんじゃない!」と思い、ストレスで体調を崩した自分を責め、「つらい」と認められず・・・。

そんな自分の体験から、海外在住邦人のみんなに、「つらかったよね。つらいと感じてもいいよね。」と言いたい。

 

愛する祖国で、世界最大級の災害が起きたんです。

人類がまだ体験したこともないような出来事が、自分たちの生まれ育った国にふりかかったんです。

痛みを感じて当たり前。

もし私のように罪悪感を感じて、自分でも意識できないうちにストレスをため込んでいる人がいたら、その苦しみはあって当然のものだよ、と伝えたい。

 

これは上に書いた「個人的な想い」にも繋がることなんだけど。 

今はみんな痛みを抱えてる。

誰の痛みが正しく、誰の痛みは正しくないなんてことは、絶対ない。

他の誰かの痛みと自分の痛みを比べる必要も、ない。

ましてや痛みの大きさを比べ合うなんて、無意味だと思う。

みんながそれぞれに、自分の抱える痛みと向き合うしかないんだから。

(誤解を招くのが怖いので念のために書くと、私は被災した方と自分の痛みが同じ大きさだと言うつもりは全くありません。)

 

もし今、海外在住で、「自分には痛みを持つ資格はない。日本に住んでいないし、自分も家族も無事だったから」と思ってる人がいたら、そんなことないよと言ってあげたい。

私は、誰かにそう言って欲しかったから。

自分はいつもどおり、あるいはいつも以上に頑張らなくては、せめて出来ることだけはしなくてはと思いながら、自分を追い込んでしまったから。

 

 

残念ながら腹立つニュースも沢山あるし、イタリアの対応や報道や、イタリア人の反応に傷つけられることもあるし、だけどだけど、「日本って素晴らしい国だな!」と思えるニュースも沢山沢山あった。 

温かい言葉をかけてくれたイタリア人の友人たちに救われた時もあった。

そういうニュースや時間は、夜空に輝く星のように、暗闇を照らす灯火のように、確かに心に響きました。

そのこともこれからずっと、忘れたくないなと思います。

 

・・・・

 

今でも、ふわふわと手応えのない日々が続いています。

3月が終わろうとしてるなんて、信じられません。

毎日を、どうにかこうにか、だましだまし、やり過ごしている自分がいます。

まだまだ気持ちがぐちゃぐちゃしていて、とても整理できてない。

 

でもこうやって先に進んでいく中で、大なり小なり、震災前・震災後とでは何かが大きく変わっていくことでしょう。

これは大きな変革期になることでしょう。

電力消費などの問題から、物理的に目に見える形でも、大変革が起こるかもしれません。(それらの予兆は既に起きているようにも見えます)

 

願わくば、それが長期的に見てプラスへと向かう変革になりますように。

いや、願うだけじゃない、プラスに向けていきましょう!

 

 

最後に。

こんなぐちゃぐちゃの文章を最後まで読んでくださった方。

ありがとう。

 

・・・

 

イタリアのらくら生活ブログを再開します。 

 

 

コメントをお書きください

コメント: 7
  • #1

    リタ (土曜日, 02 4月 2011 06:09)

    読んでいて涙が溢れてしまいました。
    私はシカゴに住んでいます。
    苦しくて泣きたくて、でもつらいという言葉を言えなくて
    罪悪感や無力感に押しつぶされそうでした。
    毎日ブログを書いていましたが、何が正しく何が人を傷つけるのかわからなくなりました。
    今は言葉を発することが怖くて書けません。

    同じ気持ちの方がいて、心が少し和らぎました。
    ありがとう。

  • #2

    tomaka (日曜日, 03 4月 2011 14:30)

    私もあの日以来、ツイッターでの呟きが極端に減りました。
    書いては消し書いては消し・・・。誰かを傷つけるのではないかと・・・。東京で揺れを感じ、今も余震に怯えながらも亡くなられた方やご家族を失くされた方のことを思うと・・・。親族を失くされた方は私のまわりに何人かいらっしゃる。なんて声をかければいいのか・・・。
    阪神大震災の時も近くに住んでいたのだけれど・・・。
    やはり文章下手の私は上手く書けない。

  • #3

    coccoloblu (火曜日, 05 4月 2011 05:52)

    リタさん

    こんな拙い言葉でまとまらない物を読んでくださって、しかも共感していただいて、ありがとうございます。
    海外に暮らしていると周りの人々と自分との、決定的に埋まらない温度差も直接肌で感じるし、もちろん日本との距離も痛感するし、そんな中で感情を外に出せずに苦しむことも多かったのではないでしょうか。
    正直、誰かを不快にさせるのではないかと思い、ブログを書くのは恐怖がありましたが、少しでも何か感情を外に出すお役に立てたなら嬉しいです。

  • #4

    coccoloblu (火曜日, 05 4月 2011 06:27)

    tomakaさん

    家族や友人を亡くされた方の気持ちを思うと、本当に言葉が出ません。
    最初に津波にさらわれる街の映像を見た時には、規模が大きすぎて、何が起きているのか理解すらできませんでした。
    でもあの水の下にそれぞれの生活、それぞれの家族、それぞれの命があったのかと思うと・・・。

    ・・・このコメントも何をどう書けばいいのか、正直わかりません。
    一つだけ、個人的に言えること。
    拙い文章ですが、ブログを読んでくださって、コメントくださってありがとうございました。
    考え考え、思い思い、迷いためらいながら、続けていこうと思います。

  • #5

    Monserrat (水曜日, 06 4月 2011)

    はじめまして。今日初めてcoccolobluさんのブログを拝見しました。イタリア人のための地震情報のイタリア語訳や一日一笑や、すばらしい活動をされていたと思います。
    この記事は、震災発生以降私が抱いていた思いがまったくそのまま文章化されたようで、心に深く染み入りました。
    震災発生から一週間は気が張っていたのか、少しでも私にできることを、とばかりに周囲のイタリア人に情報を伝えたり、Youtubeで流れる動画にイタリア語字幕をつけて再配信したりしていましたが、一週間目に感情が決壊、被災者でもない自分がこんなに傷ついてどうする、と自分を責めつつも、あっという間に体調を崩してしまい…そんな自分をまた責める日々が続いたので、coccolobluさんの言葉は本当に胸に染み入りました。どうもありがとうございます。
    まだまだ福島では緊迫した状況が続き、イタリアでは原発報道は相変わらず大袈裟気味でも震災報道は減り、周囲のイタリア人と話す時に感じる温度差(もしくは運が悪いと軽率な態度や差別的表現)に、ますますげんなりさせられる日々が続く予感がしますが、それらの反応にも負けずに上手に自分を守りつつ、日本人であることに誇りをもって毎日を過ごしていきたいと思っています。
    (長く、とりとめなく書いてしまってごめんなさい)
    coccolebluさんもどうぞお体に気をつけて、今後もブログ更新を続けてくださいね。また見に来ます。

  • #6

    coccoloblu (木曜日, 07 4月 2011 11:06)

    Monserratさん

    ありがとうございます。

    仰ることよくわかります。
    これからも、周囲との温度差や摩擦に傷つくこと多いと思います。
    正直、私の口から日本の話題ばかり出るので、日本の話題はもうウンザリというイタリア人が既に身近にいたり・・・。
    でもこの気持ちは、やはりどうにもならないものだなと最近実感します。
    私が私の気持ちを持つこと(喋ることも)は、どうにもならない。
    他の人が他の感情を持つ(態度に出す)のも、どうにもならない。

    「上手に自分を守りつつ」という言葉は、海外在住邦人にとってこれからますます難しく、重要な課題になっていくことでしょう。
    真面目な人ほど、周囲の態度や報道からだけでなく、自身の内面との闘いも生まれてくると思います。
    それは決して、簡単なことではないですよね。

    私は体調を崩してからは、ひとまず「こうしよう」とか「こうなろう」と頑張ろうとするのではなく、時間の持つ力のような物を信じることだけ、心がけようと思っています。

    私がダメダメでも、時間は絶対に前に向かって進む。
    そして時間は、否応なしに人を成長させてくれる。
    日常をもがきながら生きていくこの時間、その経験はいずれ人生上またとない財産になるんだ、と。

    結局私は弱っちくて、自分を信じるよりも時間が前に進むことを信じる方が、楽なようです^^

    Monserratさんもお体(そしてもちろん心も!)、いたわってくださいね。
    コメント、本当にありがとうございました。

  • #7

    Gabriel (月曜日, 23 7月 2012 12:30)

    Hi there! This post couldn�t be written much better! Reading through this article reminds me of my previous roommate! He always kept preaching about this. I most certainly will forward this post to him. Fairly certain he�ll have a good read. Thank you for sharing!