アッシジに来たら、どうしても欠かすことができない教会がもう一つあります。
聖キアラの遺体を安置してある、サンタ・キアラ教会です。
聖キアラ。
フランチェスコが修道しとして活動を初めてまもなく、彼の教えに従い、生涯フランチェスコへの尊敬と敬愛を持ち続けた女性。
いわば、フランチェスコの一番弟子とも言える女性で、彼女はフランチェスコ会の中に「キアラ会」という女子修道会を創立し、数多くの女性を受け入れることになります。
女性の弟子としては間違いなくトップに位置していた女性であったため、また彼女の献身的態度やフランチェスコへの大きな信頼によって、この二人はいたるところで聖なるカップルのような扱いを受けています。
実際にはこの二人の間に(肉体関係を含むような)恋愛関係はなかったのでしょうが、数多くの映画、ドラマ、小説の中で、このキアラという女性はプラトニックにフランチェスコを愛し続けた女性として描かれます。
若く美しい女性だったキアラが神の道を選んだのは、フランチェスコがいたから・・・だったことは間違いないでしょう。
彼女はフランチェスコのカリスマ性に、心底惚れ込んでいたのです。
それが現代において「愛」と称されるものなのか、「恋」と称されるものなのか、あるいは教祖に対する盲目的な「信心」と呼ばれるものなのか・・・分類するのは難しいだろうと思います。
また、彼女がフランチェスコの弟子になったきっかけが、親に無理矢理結婚させられそうになったから、というのも二人を聖なるカップルにする一つの要素です。
彼女は16歳の時に道ばたでフランチェスコの説教を聞き、魅了されたと言われています。
その2年後、裕福な家への結婚が決まり、彼女は親に反抗して家を飛び出すのです。
当時の女性にとって、結婚を拒絶するのに唯一有効な手段と言えば修道尼になること。
彼女はフランチェスコの元に逃げ込み、そこで修道尼になる決意をします。
フランチェスコを精神的父と仰ぎ、第二のフランチェスコとも言われるキアラ。
精神的父だったか、精神的夫だったか・・・いや、そこを突っ込むのは野暮というものですね。
フランチェスコの教えに従い、「清貧、貞節、従順」の生涯を送ったキアラ。
彼女の遺した聖遺物から、その生活ぶりをかいま見ることができます。
教会地下墓所には彼女の遺体と、彼女が作った服や使っていた物など、幾つかの聖遺物を見ることができます。
髪の毛なんかもありました、確か。
写真も撮れるようでしたが・・・とてもカメラを向ける気にはなれませんでした。
そのくらい、神聖な空気が漂っています。
女子修道会を設立し、多くの迷える女性を助けたキアラは、現在でも沢山の女性の信仰の的になっています。
私が訪れた時も、一人でやってきて必死に祈りを唱える女性が数名いました。
キアラがいなければフランチェスコ会の中に女子部を作ることもできず、これほど多くの女性信者を得ることもできなかったでしょう。
二人三脚でこの時代を生きた二人。
少なくとも、精神的パートナーとは言ってもいいんじゃないかな。
聖フランチェスコ大聖堂と、この聖キアラ教会はアッシジの町を挟んでちょうど反対側に位置しており、まるで父と母のようにこの町を見守り続けています。
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島 雄 (Monday, 30 September 2013 03:22)
本文中に、「数多くの映画、ドラマ、小説の中で、このキアラという女性はプラトニックにフランチェスコを愛し続けた女性として描かれます。」とあるが、具体的な映画・ドラマ・小説名を教えてください。