写真は今年の夏のバカンスで訪れた、ウンブリア州テルニという街の近くにある名所、マルモレの滝です。
丸漏れの滝…いや、言ってみたかっただけ(笑)
どうせ滝でしょ?と思って行ってみるまでかなり甘くみてたんだけど、実際この目で見たらものすごかった。
すっごいよ、これはもう天上の景色だと思った!
マル漏れの滝(だから違うってば!)について詳しいことは、真面目にココに書いたのでそっちを参照してね。
そっちでは真面目に書いてるのでキャラが違うって驚かないでねん(爆)
さて、写真とは関係なく出産の時の話をしようと思います。
ちょっと変わった産院で産んだって話は前にも書いたけど、そこは助産師しかいないので普通分娩オンリーで、ちょっとでも健康に問題があると受け入れてもらえません。
そもそもイタリアの医療制度って日本とは全然違ってて、1つの病院でトータルに妊娠〜出産を見てもらえるわけではありません。
血液・尿検査は保健所的な検査専門の場所で受けるし、産婦人科医の健診は別の病院で、そしていざ産むのはまた別の産院で、それぞれがまったく連動してません。
ね、面倒でしょ?
ずっと診てくれてた先生が出産に立ち会ってくれるわけではないの。
産院との関係は、事前カンファレンスなどを除くと陣痛が始まってから。
そっから信頼関係築かなきゃいけないんだから、こりゃ難易度高いわけです。
私の場合陣痛は24時間以上続き、途中一度入院したにも関わらず子宮口が開ききってない(3cmくらいだった)ということで一度自宅に戻され。。。
自宅に戻された時は既にほぼ5分間隔で相当痛かったんで、「この産院本当に大丈夫か?今車で帰宅して、また戻ってくるなんて不可能だよ!!」とかなり不安になりましたが…イタリアではコレ結構普通のことみたいです。
私の友達なんて自宅と産院が高速使って1時間半以上の距離なのにも関わらず、やっぱり同じ理由で一度病院から追い出されたとか。正気か!?
ここまでは、イタリアでの出産のネガティブな部分。
受診システムが煩雑で面倒だったり、非効率的だったり、5分間隔で陣痛始まってても入院できなかったり。
実を言うといざ産むまでは、日本と比べて悪い部分が目について不安でした。
産婦人科医もヒステリーな女医さんで、あまりに態度が悪いので途中で変えなきゃいけなくなっちゃったし。
あ、でも妊娠に関わる医療費は全額タダ!っていうシステムは、日本でもぜひ導入すべきだと思うけれど。
さて、我慢に我慢を重ね、再び入院したのが夜24時少し前。
子宮口は最大、ベッドにたどり着いたら即破水!
出産には2人の助産婦さんが立ち会い、「ポジションを変えましょう。じゃあ、立ってみて」とか「次は座ってみて」とか指示を出してくれます。
前にも書いたけど「死んだほうがマシ」と思うほどの痛みを経験し、1時間くらいで出産、ヒナちゃんはあまりに勢い良く全身飛び出したのでシューッと床を滑っていき…。
その夜はそのまま出産した部屋のベッドで親子三人で寝ました。
で、出産した後がまた、大変だった。
産まれてきたヒナちゃんはなぜだかおっぱいを吸うことができず、お腹が空くので泣き止まないし、私は胸が張って炎症を起こすしで散々な状況に。
産まれてから多少体重が減るのは生理現象ですが、ヒナちゃんの場合は10%以上体重が減ってしまったのでこれ以上は危険ということで、産まれてすぐにミルクとの混合になりました。
そしておっぱいを吸ってもらえないので、私は搾乳器で搾乳することに。
搾乳は片方5分を左右交互に3ターン、つまり1セット30分です。
それを一日7回、ほぼ3時間おきに続ける。
乳腺が詰まって炎症を起こしているため、これが激痛なの!!
まだその頃は胸を触ると陣痛のような痛みもくるし、上も下も痛くて、しかもまったく母乳出ないもんだから泣けたな〜。
赤ちゃんに吸ってもらえないと、出ないんだよね。
で、ここからは私が体験したイタリアでの出産の、良かったところの話。
良かったところ、それは一にも二にも、人の温もりでした。
中でも特に印象に残った、3人の助産婦さんの話を書こうと思います。
産院で働く助産婦さんたちは、交替制。
毎日人は入れ替わるんだけど、出産後に担当してくれた3人の助産婦さんたちが、本当に本当にいい人たちで。
1人は、一見事務的な態度にも見えるけどしっかり者で頼り甲斐がある「リーダー(仮称)」。
もう1人は明るくサバサバした若い助産婦の「Eさん(仮称)」。
最後の1人は優しい人情派の「おばあちゃん(仮称)」。
それぞれに個性があって素敵な人たちだったけれど、3人のチームワークもまた素晴らしかった。
搾乳が始まった日、たまたまお見舞いに来てくれてた指圧師のブルーノが「母乳を出すのにお灸が効く」と言い出して。
ダメ元でリーダーに相談したら、なんと産院にお灸も常備してるので協力してくれると快諾。
びっくりしたよ、いまどき日本の産婦人科にもお灸なんて常備してないでしょう?
それがイタリアの産院にあるって言うんだもん。
それで、彼女たちの全面協力のもと、一日2回母乳が出るようにと3人がかりでお灸施術をしてもらいました。
今となっては笑い話だけど、上半身裸で椅子に座り、リーダーとEさんがおっぱいの下のツボにお灸を施術し、おばあちゃんが私を扇ぐ(煙がモロに顔を直撃するので)という、なんともおかしなお灸体験。
ブルーノ、夫、たまたま来てた他の友達などギャラリーに見守られながら、おっぱい丸出しで、一体何やってるんだろうと思ったよ…。
でも少しでも母乳が出るようにと、みんな必至だったの。
胸の炎症はどんどん悪化するし、恥ずかしいなんて言ってられない状況でした。
それから、この3人は搾乳も手伝ってくれました。
今でもよく思い出すんだけど、初めて彼女たちと搾乳した時。
猛烈な痛みに耐えて歯をくいしばりながら30分搾乳して、ようやっと絞り出すことができた初乳は、たった3ccでした。
Eさんが搾乳器を持ちながら「痛いよね、わかるよ、頑張れ!」と30分ずっと励ましてくれたこと。
あの大事な3ccを、リーダーが一滴もこぼさぬよう丁寧に丁寧にシリンダーに入れてくれたこと。
おばあちゃんが「マンマ頑張ったんだよ、こぼさず飲むんだよ」とヒナちゃんに優しく語りかけてくれたこと。
ヒナちゃんがシリンダーから初乳を飲んでくれたのを見届けたら、涙があふれてきたこと。
……忘れられません(涙)
リーダーとEさんは翌日もシフトが入ってたから普通に会えたんだけど、おばあちゃんは翌日は別の場所勤務で、「でも心配だから明日また来るよ」とわざわざ会いに来てくれて。
3人の助産婦さんたちは、私の母乳がほんの僅かだけど搾乳のたびに少しずつ増えてきたのを確認して、「大丈夫、頑張ってればそのうち痛くなくなるからね。今が踏ん張りどころだよ」と励ましてくれました。
あの3人には、心から感謝です。
産後体がボロボロの状態で、人の温かさに触れられたことがどれだけ励みになったか!
医者とナースが居て事務的に物事が過ぎていく病院ではなく、助産婦さんたちで成り立つ産院を選んで良かったと思った。
私にとって彼女たちは、3人の天使でした。
別れ際、おばあちゃんがしっかりハグしてくれたっけ。
ヒナちゃんは今でも相変わらずおっぱいを吸えません。
ちゃんと乳首もあるし、一体何が不満なのやら???
でも今では一回の搾乳で軽く100〜150ccも母乳が出るようになりました。
あの3人に、母乳出るようになったよって報告したいなぁ。
さて、退院後。私の胸の炎症は更に悪化し、本格的な乳腺炎へと発展しました。
乳腺炎を患っての育児スタートはとっても大変でしたが、そんな時助けてくれたのも、また別の助産婦さんでした。
でもそれはまた、別の話。
コメントをお書きください